専務取締役・工場長
池田 一夫
職人歴:55年
得意分野:旋盤加工
インタビュー目次
- 技能オリンピック出場を勧められた新人時代
- 手先の器用さ × 繊細さ
- 「挑戦するかしないか」が分かれ道
- 技術継承者を育てた達成感
- 生涯、「汎用旋盤」の職人として
技能オリンピック出場を勧められた新人時代
ーなぜ、金属加工の職人を仕事として選んだのですか?
もともとは、車が好きだから自動車メーカーに就職したい、手先が器用だから理容師になりたいと思っていたのですが、最終的には学校の卒業生が何人かお世話になっていた会社に就職することに決めました。この道に進んだきっかけとなる、東京都大田区の金属加工会社です。
当時は中学校を卒業したばかりの15〜16歳。「仕事は見て覚えなさい」、「先輩から技術を盗みなさい」という職人の世界ですから、もちろん手取り足取り教えてくれる人は誰もいません。
ですから、毎日とにかく一生懸命、がむしゃらに仕事をして覚えましたね。
ーいまよりも「自力」が求められる時代でしたよね。新人時代で印象に残っている出来事はありますか?
手先の器用さや仕事の丁寧さを社長と工場長が評価してくれて、新しく導入する旋盤をまかされたことでしょうか。
いまの物価だと数千万円くらいする高価な機械だったのですが、入社してわずか2年目の自分が指名されました。通常は経験の長い社員がまかされるものですから、先輩たちもかなり驚いていたと思います。
その後、「技能オリンピックの汎用旋盤の部門に出ないか」とも言われたのですが、「いやです」と断ってしまいました。
自信がないというよりも、知らない場所へ出かけることに気が引けたからです(笑)。当時は群馬から上京したばかりの田舎者で、東京生活に慣れなくて右も左もわかりませんでしたから。そういうチャンスを活かそうと思うには若すぎたのかもしれませんね。
ー佐藤精密を創業したときのことを覚えていますか?
佐藤精密の創業者である佐藤芳行は、同じ会社に勤めていた仕上げ工の先輩です。仕上げという工程は、最終的な品質を左右する重要な工程です。
担当している工程が違いますから、一度も会話したことはなかったのですが、ある日「独立するから一緒にやらないか」と誘ってくれたんです。
当時の会社で評価されていたことはうれしかったのですが、新人に先を越されたと感じている先輩たちに囲まれながらの寮生活に悩んでいた時期だったこともあり、「やってみよう!」と思いました。
まだまだ子どもでしたから、当時は決して良いパートナーではなかったかもしれません。でも、自分の丁寧な仕事には自信がありましたし、社長も自分を信頼して加工を任せてくれていたと思います。
当時のことを話すとキリがないくらい、思い出がたくさんありますね。
手先の器用さ × 繊細さ
ー汎用機械を扱う職人には、どのようなことが求められると思いますか?
手先の器用さは、職人によって差が出る理由の一つです。手術で細かい作業をする外科医に手先の器用さが求められることと似ているかもしれません。
それから、感覚の繊細さですよね。ハンドル操作が重くなるとか、機械から手に伝わってくる感覚がありますし、目や耳から入ってくる情報も大切です。
例えば、切り粉や表面の荒さを見たり、音を聞いたりして、いまどれくらいの切れ味なのかがわかります。それによって、回転や送りの速度を調整したり、加工油を追加したり、感覚と経験をもとにいろいろなことを判断するわけです。
ー旋盤加工とフライス加工の職人では、求められることに何か違いがありますか?
旋盤は、材料を回転させながら切削します。ですから、旋盤を始めて見る人は「怖い」とよく言いますよね。そういう恐怖心から旋盤をやりたがらない人もいます。
切り粉がどの方向に出るか予測しづらいので、ワークなどに絡まないよう近くで観察する必要がありますが、火傷にも注意しなければいけません。
また、旋盤は加工内容が幅広いので、フライス加工を覚えるよりも難易度が高いと思います。
ですから、同じ「切削加工」ではありますが、フライス加工ができるからといって旋盤加工もできるとは限りません。
でも、佐藤精密は小さい工場だからこそ、全員が両方できるように訓練と経験を積むことができました。
ー汎用機械だからこそ身につけられた力はありますか?
機械加工の仕組みをよく理解できたことはもちろんですが、バイト(切削工具)の切れ味についての知識や経験も身についたと思います。
特にNC機械などは、購入した規格品を使って切れ味が悪くなったら先端のチップを取り替える、ということが多いと思います。
一方、汎用機械を扱ってきた昔ながらの職人は、自分で研いだバイトを使って加工しながら、どうしたら切れ味が良くなるかを研究してきました。
高価なバイトほど持ちが良いということはありますが、切れ味が良いとは限りません。安価に購入したバイトであっても、研ぐ技術によって切れ味を良くすることができます。100円ショップで買った包丁を切れ味抜群の包丁に変えられる、というようなイメージですね。
工具のコスト削減や難削材の加工に役立ちますし、規格品のバイトでは対応できない寸法の加工も自分でバイトを研げば可能になります。
「挑戦するかしないか」が分かれ道
―職人としてどのようなところに自信がありますか?
自分が特別にすごい職人だと思ったことはないですし、「当たり前のことをしているだけ」という感覚です。自分よりも旋盤加工が上手な職人さんはいくらでもいると思います。
ただ、「挑戦するかしないか」は違うかもしれません。
材質や形状、加工内容によっては、汎用機械で100分の1台の精度を出すことの難易度が高いですし、「失敗したくない」、「怖い」と職人がやりたがらない加工はどうしてもあります。
「絶対にできないというわけではないけれど、やりたくない」ということですね。
そういうときに挑戦しようとすること、根気強く取り組むことは心がけてきました。
ー佐藤精密は難削材の加工経験が豊富ですが、工場長の貢献は大きいですね。
佐藤精密の創業者も同じ姿勢でした。ですから、SUS304などの難削材加工も「池田ならできる」と積極的に受注するようになりました。
職人たちがいやがる加工、NC機械を持っている会社がやりたがらない加工を引き受けて、それが重宝されてきたと思います。
もちろん、失敗もたくさんしてきました。「また失敗するかもしれない」という考えが頭をよぎって怖くなることも多いです。
仕上がり寸前にミスをして一からやり直しになれば、ショックで落ち込みます。
でも、そういうときは別の加工に取り掛かって自信を取り戻したり、次の日に気持ちを切り替えたりしてからまた挑戦する、というふうに乗り越えてきました。
技術継承者を育てた達成感
ー工場長は、若手の育成にも取り組んできました。どのように部下を評価していますか?
技術担当の池田稔は、旋盤加工でもフライス加工でも知識・経験が十分にあります。
感覚的な部分も、明確に教えられることではありませんが、昔ながらの職人と同じように、見て覚えて自分で考えて、コツコツと経験を積み重ねながら感覚を磨いてくれました。
「自分を超えてほしい」という気持ちで一緒に働いてきましたが、もしかしたら自分よりも丁寧に良い仕事をしているかもしれません。
加工しているときの様子を見ても、図面をよく確認しながら、慌てず落ち着いて取り組んでいるので信頼できます。
―10代のころから育ててきましたから、とてもうれしいですね。
そうですね。佐藤精密のように小さい工場では、全部の機械を使いこなせるようにならなければいけないですし、材料の仕入れや協力工場の手配、納品まで一通り経験します。
ときには、一から図面を引いたり、機械装置の設計・組み立てをしたりすることもあります。
仕事内容が多岐にわたるので難しかったと思いますが、その分、工場長になれるくらいの知識・経験が身についたと思いますね。
もう全部まかせても大丈夫だと思えるようになって安心しています。
生涯、「汎用旋盤」の職人として
―職人としての日々を支えてくれたものは何だと思いますか?
自分がつくった品物に対する満足感ですね。
簡単な加工は楽ちんですが、単純作業の繰り返しでつまらないんです。もし「つまらない」と感じていたら、この仕事は続けていません。
満足感を得られる難しい加工に挑戦してきたからこそ、いまでもこの仕事が好きなのだと思います。
また、大きな会社に勤めていたら、役割分担で同じ仕事ばかりする毎日だったでしょうし、「自分がつくった」という感覚が得られなかったかもしれません。
お客様の要望を伺いながらアイデアを出して、一から図面を引いて機械を設計するところから組み立てるところまで担当する仕事も受けていますが、自分がつくった機械は我が子のようにかわいくてたまりません(笑)。
近所のお取引先であれば、その機械を従業員のみなさんが使ってくれている様子を見られるので、そういう体験も励みにになります。
―これからも汎用機械の職人でいたいですか?
そうですね。プログラムさえあれば誰でもできる、という加工ではなく、「自分にしかできない加工」がしたいんです。
自分の場合は、数値を入力してあとは機械にまかせる、という仕事では満足感が得られない気がしています。
汎用機械は、自分の手で難しい加工に取り組むときのおもしろさやそれに成功したときの満足感が大きいんです。
ですから、身体が動く限り、汎用機械の職人でいたいですね。